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2010年1月

2010年1月31日

日能研高木氏の「予習という病」、お茶大耳塚教授書評朝日新聞1月31日付書評(15面)に登場

…なんです。

おうちの新聞をごらんください。
ネットで紹介したくても、新聞記事は当日にはウェブ上でフリーにならないのかなあ。

著者ご当人は、いろんなお友だちのコメントを共有させてくれました。
「シュタイナーの言っていることをかみくだいて今日的に言ってくれたよね。」
「ウィルバーと通じるよね。」

おおお、ほんまかいな。

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ベジタリアン・ヒル

ビバリーヒルズで話題沸騰!ビジネスオーナーとしても成功をおさめている、ヒル氏の健康法!

ではありません。
お買いもの後の珍客なんです。

私の自宅は横浜の郊外。ほとんど農村です。近くの食品店は、農家の納屋のようで、ここに直接納品する農家もあります(これっていいのかな?)。おかげで、鮮度は高いし、値段はメチャ安。最近は地元で取れないキノコ、ゴボウは高騰しているけれど、ブロッコリー、白菜などのアブラナ類は大充実。ほんとにみずみずしくておいしい!毎週、1人1個は白菜を食べているくらいです。

私にとっておいしいものを、おいしいと思うみなさんもいらっしゃるんですね。たとえばこの方。
葉っぱの中で、ぬくぬくもぐもぐお楽しみのところをすみません。

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この細身のヒルちゃん、血を吸うでっかいおっかないヤツとは別種で、コウガイヒルといいます。人の血にはまるで関心がなく、ひたすら、おいしい菜っ葉をがつがつむさぼるそうです。それが、スリムのコツかしら。コウガイ、といってもいなかの郊外に出るから、ではなく笄(こうがい)に見てくれが似ているからだそうです。ご当人はかまわないこととは思いますが。

コップに一泊していただいて、次の日、裏の畑にお出まし願いました。今年の冬も暖かいとはいえ、全身リップバームのようなものを塗ったほうがよいのでは、と大きなお世話を思いついたりしましたが、やめました。

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2010年1月27日

だから、言語造形

前回の日記の続き。

水仙の詩を唱えながら、自分は何を今しているのだろう、と思ったら、言語造形の時間と同じことをしようとしていたことに気付いた。

人間にできて、どうしても自動読み上げ機にできないこと。それは、音声によって、言葉の叡智の姿を大気圏中に立ちのぼらせること。「みず」と言ったときに、物質としての水以上のみずらしさがあらわれること。

はじめに言があった。

そのような、はじめにあった言に近づく言葉をさぐりながら通訳することが、私の通訳の核心なんだろう。

言葉にたいして、こんな気持ちでいることは、キネシの通訳をするときにも、相乗効果があるんじゃないかと思っている。

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2010年1月25日

顕在意識はそんなにしょぼくて、潜在意識はそんなにすごいのか

もちろん、そうは思っていないから、こう書いている。ここ1年のキネシオロジーの学びから、今の、私なりの方向を決めておきたいとおもって。

日常にあふれる、近代的、表層的な言葉の上滑り、暴走はとても寒々しいし、世界を傷つけ、人間を矮小化してきたと思う。

だから、ハラの感覚、潜在意識、近代の言葉が汲みとれなくなってきたものを振りかえることはとても大切。そのために筋チェックという方法があるのも面白いし、ありがたい。

でも、「言葉はダメ!なんでも筋チェック!」ではないと思う。それでは、シーソーが反対にひっくり返っただけだ。

はじめに言があった。
言は神とともにあった。
言は神であった。

先週末、瞑想のための誘導文を書くグループ練習をしながら、私の心は「なんだかちがうんだよなあ」と思い続けていた。突然、ワーズワースの「The Daffodils水仙」の詩と光景がよみがえってきた。ああ、この場を離れて、あの水仙の声に耳を傾けてみたい、という思いでいっぱいになった。

あの一編の詩の言葉にこめられた力。それこそは、潜在も顕在もなく、意識を貫く力。ものとしての水仙の光景以上に、その光景らしさを宿した言葉。

それが、詩の力。

The Daffodils
              William Wordsworth

I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Fluttering and dancing in the breeze.

Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They stretched in never-ending line
Along the margin of a bay:
Ten thousand saw I at a glance
Tossing their heads in sprightly dance.

The waves beside them danced, but they
Out-did the sparkling waves in glee:
A poet could not be but gay In such a jocund company!
I gazed - and gazed - but little thought
What wealth the show to me had brought.

For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive mood,
They flash upon that inward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills
And dances with the daffodils.

水 仙
            ウィリアム・ワーズワース(田部重治訳)

谷また丘のうえ高く漂う雲のごと、
われひとりさ迷い行けば、
折りしも見出でたる一群の
黄金(こがね)色に輝く水仙の花、
湖のほとり、木立の下に、
微風に翻りつつ、はた、踊りつつ。

天の河(あまのがわ)に輝やきまたたく
星のごとくに打ちつづき、
彼らは入江の岸に沿うて、
はてしなき一列となりてのびぬ。
一目にはいる百千(ももち)の花は、
たのしげなる踊りに頭をふる。

ほとりなる波は踊れど、
嬉しさは花こそまされ。
かくも快よき仲間の間には、
詩人(うたびと)の心も自ら浮き立つ。
われ飽かず見入りぬ──されど、
そはわれに富をもたらせしことには気付かざりし。

心うつろに、或いは物思いに沈みて、
われ長椅子に横たわるとき、
独り居(ひとりい)の喜びなる胸の内に、
水仙の花、しばしば、ひらめく。
わが心は喜びに満ちあふれ、
水仙とともに踊る。


筋チェックと、やせた言葉のどっちか選べ!でもなく、別々のまま両方!でもなく…その上を包括する存在は…、私にとっては「詩たるに足る言葉」なんだ。(詩たるに足らぬ言葉とはなんだ、と疑問にもなるけど)

「メタファー」とも少し似ているかもしれないけれど、似ていなくても、別にかまわない。

ちょっと、やっと、ハラに落ちている。
やっぱり、恩師、斎藤和明先生の手のひらで遊んでいる。ああ、先生、またイヒヒと笑っておられるな。

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2010年1月22日

パーソナルカラーを学びたい!先生たちを美しく!

四季のタイプ分けで似合う色を判別する、というのをご存じのみなさんも多いでしょうか。

わたしは、カラー・ミー・ビューティフルさんのコンサルで夏色と判別されました。
そのプロセスのおもしろいこと、ありがたいこと。
まさに、ひとの美しいところ、愛すべきところがどんなに小さくても、ていねいに拾ってくださる楽しい時間でした。

この手法を学びたいのですが、けっこうジレンマが。
わたしの心はCMB(カラー・ミー・ビューティフル)さんに傾いているのですが、教授内容と学費の説明が、今日風とはいえない部分もあり、私がお役に立ちたい方々の前の門が開くかどうか…

なんだかわけがわからなくてすみません。

でもね、学校の先生たちに色で力になりたい。

ださい、といわれる先生たち。
でも、流行に流されず、質の良いものを少しずつ買い集める堅実さがある。
それが、自分を引き立てる色、デザインだったら、どんなに出勤もたのしいだろう!
どんなに、生徒たちにもよい環境の一部になれるだろう!

そんなことを考えているのです。


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2010年1月21日

恐怖麻痺反射くんありがとう、さようなら!【来るときはいっぺんに来る】

実は、ここ2日ほど、ふわふわぼやぼやとしていて、そのことをはっきりと認識しているのがへんてこりんな気分です。「3日間休みをとって、一日中寝ていていいよ」と言われたら、寝ていられそう。これまでは、国民の休日なんか仕事しにくくてやだなあ、と思っていたのに。なんか、大きく変わっている。

そう、ターニングポイントのときって、変化を促すものがいっぺんに来るのです。A→Bなんていうふうに、因果関係が特定できない。だから、直線的に説明しようとすると変になってしまう。甲野善紀さんがおっしゃっている、人間の動きは同時並列的にたくさんのことが起きていて、A→B式の説明になじまない、というあの感じ。

さて、とはいえ、大きなことが2つ思い当たります。

NESで意識のくせの深いところに働きかけるエッセンスに進んだこと。(私はフラワーエッセンスやホメオパシーの理論はなるほどと思うのですが、あんまり女の子っぽくて、「まあ好きな人はいるだろうな」くらいだったのです。でもNESはそこがあっさりしてる。)これはまたあとで。

今日の主役、もうひとつは、RMTでの恐怖麻痺反射の発見。

ひとつ前の日記で「とても強く残っている」と書いてしまいましたが、講師のモイラさんによると、「少しね」でした。でも、私には「これだ~!」という存在感があったのです。

通訳をしているときの私は、反射なんか関係ない、という顔をしているでしょう?聴覚記憶バリバリ、すべてコントロールして、人前で話すの大得意、という顔をしているでしょう?それは仮の顔でもなんでもなく、本当の顔です。でも、別の顔もあるんです。

*人に触られるのが苦手。触るのも苦手。
*ストレスがかかると、すぐに息を止め、凝視する。
(ググっているとき、こうなるひとと、お茶でも飲んで検索結果が出るのを待てる人と、いるんです。)
*人にどうみられるか気になる。
*世界を安全な場所とは思っていない。
*人生は基本的に危機的だと思っている。
*息が浅い。

これは、誰もが多少ひきずっている「恐怖麻痺反射」の名残なのだそうです。この反射はおなかのなかで受胎5週後に出現しはじめ、12週ごろには、モロー反射に助けられて統合されていく(卒業する)反射。自分に危険をおよぼすものに触れて、びっくりしてひっこみ、息をとめる動きをします。まるで、ヘッドライトにびっくりいして固まるウサギのように。(胎児を髪の毛でツンツンつついて、この反射を実験した輩がいるらしい。変な奴だ。)

私が感じていた生きにくさ、車に乗っているけれど、私の両手だけでなく、もう一つ、誰かの手がハンドルにかかっているような感覚がしていたのは、これだったようです。(シュタイナー的にいえば、ちゃんと受肉してないってこと)

恐怖麻痺反射には、感謝もしています。幼稚園のころから、自分が不器用で、音痴で、内気で、できそこないで、人の倍がんばらないとどうしようもない、と思っていたので、「努力する」経験に恵まれました。そう、短所は長所のチャンスになったのです。叱られたり、悔しがったりしながら、結果を出すことも知りました。不器用さを、小さい自分、時代を超えるものと入れ替えよう、と欲を出し、書道、なぎなた、ヴァイオリンなど、あえて「型」に身をまかせる習い事を選びました。(でも、なぎなた振りまわして粗大運動しているときは、なかなかかっこいいですが、ヴァイオリンの音程はひどく、やっぱり微細運動はだめですね。楽器を構えただけなら、見てくれは悪くないんだけど。)

だから、治癒教育のバーバラさんが私をthe woman of accomplishment(意識的達成のひと。色気な~い)と呼ぶんだと思います。

で、モイラさんといくつかの運動を選んで、しばらく続けることになりました。(この運動、ことばでなら紹介していいのかなあ。要確認)それが気持ちいいこと。これまでやっていた別の運動も、超スーパーゆる体操と呼びたいほどのほぐれようで、寝入りばなにやると、あっというまに眠りについています。いちどうっかり寝起きに実行して、とんでもないことになりました。

いま、恐怖麻痺反射君にありがとうとさようならをいう時が来たと思います。
反射君のほうが、くたびれたのかも。
いままで、なまけものの私をよいしょ、よいしょと後押ししてけてありがとう。
もう、君にお世話をかけないようにします。
十分骨休めをしたら、次の誰かのところに行ってくださいね。
おかあさんのおなかの中で、君を待っているだれかがいると思うので。
元気でね~(?)

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2010年1月19日

この出汁、すんごくおいしい!+恐怖麻痺反射


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ビーバンのおいしいだしにはびっくり!

こまか~いペプチドパウダーはお砂糖も塩ももちろんグルタミン酸も加えていません。とにかく、さらさら、量も調節しやすい!

ただの無化調とは違います。なんで、こんなに甘いのでしょう!味がふくらむのでしょう!
半端な使い方にも寛容。たとえば、市販の3倍濃縮昆布つゆをうすめて、これを入れると、まあ、おいしいこと!
おでんで試すのが楽しみです。

おつゆだけでなく、炊き込みご飯にも使えるそうです。

追:今日は、リズミック・ムーブメント最終日。私は反射のいちばんはじめの大物、恐怖まひ反射がとても強く残っていて、それ以降のうまく統合できるはずもない反射を、努力とコントロールでやっつけてきたことがわかり、納得。この話はまたあとで、明日か明後日に。

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2010年1月18日

寝たままの「ゆる体操」海外版

といば、イメージがわくかな。

リズミック・ムーブメント・トレーニングはねたまま「ゆる」を目的にそっていろいろ使い分けます。その通訳なんて、なんじゃそりゃ、と思うけど、相当神経科学用語が詳細なんですよ。

ディスレクシアと原始反射の2日間講座が今日終わりました。明日から恐怖麻痺反射。

動きが学習のベースであることを納得するたび、J学園の生活が、おのずと発達段階のおさらいになっていることを思います。それを、教育者側が意識できればいいのだけど。

ところで、0.7人前の仕事を3か所でやったら、2.1人前働いたことになるでしょうか。でも、人には、どこへいっても、0.7人前、としか見えませんよねえ。う~ん、たいへんだ。ここ1年は、まる一日お休みだったことは、お正月以外ないかも。う~ん、そろそろ、まる1日、電源から切る日がほしいですねえ。

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2010年1月15日

NESシステム5か月ぶり!

人間の目に見える肉体以上の情報を、え~!ほんとに、というほど、PCでスキャンできるNES。今日は、5か月ぶり、3回目の東京でのスキャンに行ってみました。経絡、構造、栄養、環境などなど、実におもしろい説明。今日が新月と日食が重なったへんな日だということも、ここへ伺って初めて知りました。ほんとに、へんな感じはしていたのですが、自分が突然更年期になったのかと思っていたので、ほっとしました。

プラクティショナーのおふたりは、きれいな大阪弁。

NESのシステムを私がぜ~んぶ納得しているか、というと、まだです。

でも!結局、カンなのです。

みんな、全部、全部、理詰めで説明できることばかり人に示しているわけではない。
だから、どこか、理詰めが行き詰まる壁が来る。その向こうに行ってもいいか、だめか、は最初の瞬間にその人にOKを感じたかどうか。

私は、NESのおふたりには、初対面の時から、初対面の気がしなかったし、5か月ぶりでも、昨日お目にかかったような気がします。

でもね、でもね、おもしろいのはね。上書きもできること。

第二の初対面もあるってこと。

毎回じゃだめでしょ。それじゃ狼少年です。でも、「いつも~だからなあ」と思っていた人から、思いがけず、とても見て見ぬふりのできぬほど、別人かと思うほどの違った印象を受けることがあるんです。

自分の直感を信じる。待つ。見逃さない。
おなじくらい
人の変化を信じる。待つ。見逃さない。

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2010年1月14日

カリスマは、いらない

たわふさんとの「自信のあるひと、ないひと」談議にヒントをえまして、一筆。

私は、カリスマなんとかブーム、にあまり魅力を感じません。

だって、そのカリスマなんとかさんのところに行けば、似合う髪形にしてもらえる、あたる占いをしてもらえる、人生の指針を与えてもらえる、というつもりでしょう?人の知に耳をかたむけるのは結構。でも、答えを自動販売機みたいに買えると思うのは、どうかな。

それぞれに、それぞれの問いがあって、こたえを手探りする試行錯誤があって、どんな答え自体も正しくも誤りもなく…そして、また問いがあって…

このプロセスを人には代わってもらえないでしょ?

人に自分をまかせたいほど、弱る時もそりゃあ、ある。

でも、そのとき必要なのは、静かな伴走者。

静かな、聴く力のある伴走者になるには、自分モードを脱する訓練もいる。
伴走者はけっして、インスタントな答えを与える役じゃない。

わたしが出会う学校の先生たちは、たくさんの問いをかかえて生きています。
これはおかしい、こんなはずじゃない、でもどうしたらいいんだ!と問う姿勢は、ある意味、オープンです。「これでOK」で終わっていないから。そのオープンさは、傷口オープンのようでもあるけれど。

私は、彼らの選択肢を豊かにする応援者でありたい。

ちょっとあわてて、乱文失礼。

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2010年1月13日

バスの運転手さんをハッピーに!

このところ、地元の路線バスに乗って、愕然とします。

運転手さんの沈んで居る様子。

そりゃ、乗る人乗る人美人じゃないけどさ。

今日なんか、日中の満員バスで「中へおつめください」を15分の間に22回聴きました。状況が変えられていないのに、変えられない言葉を機械的に繰り返しているのです。それも、低性能のマイク越しに。

しまいに、乗客のおじいさんが「みんな、つめよう!運転手さんも困っているよ!」と地声で呼びかけました。

おつりの用意のない人、カードの使い方を間違える人への対応にもいらつきを感じます。

いったい、どんな労働体系なんでしょう。
どうしたら、愛すべき街のおなじみさんになれるのでしょう。

あたし、ボランティア車掌さんで地声車内放送、運賃精算、昭和40年代式にがんばってもいいけどな。
そういうバス、たまにあってもいいと思わない?
張り切っちゃうよ。

追:就職当初、よく美容院で、客室乗務員さんですか?ときかれました。
14年後、婦人警官さんですか?ときかれています。
あいだでいかが?

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2010年1月11日

主は我が牧者。中華街にもいませばなり。

あら~!イエス様、こんなところに!

昨日、キネシオロジーの学びの昼休み、大好きな中華街を散歩。横浜媽祖廟を訪れると、みごとな紙切りやさん。上海から来たばっかりだそうで、日本語は片言。目の前で小さな紙切り細工を作り、ひとつくれました。その美しさに息をのんで、できあがった商品をぱらぱら見せてもらうと…えっ!

え~!どうしてここに?

みなさん、どう思われます?絵葉書は母校F女学院の礼拝堂のステンドグラス。

F女学院は中華街から歩いて7分だけど、この紙切りやさん、上海から来たばっかりだし…

ううむ、美しいイエス様は、どこにでも姿を現わされるのですね。

実は、12月の日記で、瞑想について書いたところにあるのですが…、「顔くりぬき」で、すべての人の顔はキリストの顔だと確認しなさい、と聴こえてきたとき、思い浮かんだのはこの絵葉書でした。

神様、またしてもやってくれるぜ。すごい二段オチです。
なんと、中華街においでとは。
それも、海の女神様の神殿の屋台においでとは。

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2010年1月 8日

ぎゃあ!オーディオブックご試聴、ご感想を。

なななななんと、試しに朗読した親業訓練協会の「看護手帖」、知らない間に、第一章だけアップされていました~。

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この協会では、みなさんの感想をお待ちしております。私までメールでいただけましたら、伝えておきます。よろしくお願いいたします。

そもそも、親業(Parenting Effectiveness Training)は、アメリカ発のコミュニケーション・トレーニングの老舗。日本でも、親―子、生徒―教師、患者―医療従事者などの関係を健やかにするため、地道に活動をつづけています。

ただ、メインの本、「親業」「教師学」などが分厚い!自宅で親御さんが、教員室で先生が読むにはなかなか大変です。一部を辞書的に利用するのも容易ではありません。これを、オーディオブックにしたら、通勤時間に利用してもらえる!と思っています。

ただ、著作権の問題もあるので、ブアツイブックの朗読はしばらく先になるでしょう。とりあえずは、しおり的なものをやってみました。ダウンロードできるようにはなっていないのですが、これは、今回の出来が55点としか思えない私には安心材料です。

で、あと100-55=45点のプラン。
1.ワンフレーズ、ひと呼吸を長くする。そのほうが呼吸を忘れることに近づけそう。
2.もう少しテンポアップ、一般的な呼吸数に合わせる。
(要するに、今回は用心しすぎて、スタック・ローギア。)
3.聴いている人が、先を予測できるトーンを心がける。
(今回はニュートラルを意識しすぎ)

まあ、ここまでは私のこと。ごちゃごちゃ書いたけど、根っこはひとつなんでしょうが。
さて、次は環境のこと。

4.古臭い会話表現を協会関係者と相談して見直す。
5.下の倍音が録音できるよう技術的調整する。
6.カラスが飛んできたり、犬が吠えたり、さおだけ屋さんが来たりしないところで録音する。
7.うるさいエアコンを止めてがたがた震えて、ではなく、無音の暖房器具を用意する。

これで、85点を越えたあたりから、アントロポゾフィーに挑戦したいと思っています。

ああ、「ことばの家」の諏訪先生が朗読なさったら、どんなふうなのだろう、とまたまた勝手な憧れ妄想を膨らませています。

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2010年1月 7日

Let me finish! 息をずらしてる?

いえ、別に私だけのことではないのです。

ここ3日ばかり、バイオグラフィーワークの講座で、ひたすら3分ずつ、人の話を聴く訓練を何回も繰り返しました。
その前は年末にひびきの村で通訳をしていました。バーバラが話す、ひたすらそれを聴く。それをひとまとまり、訳して伝える。

こんな日々が続くと、無意識の日常会話の場面で、とても気になることがあります。

人の話の途中で、話の腰を折って自分の話を始める人が多すぎる!

たとえば、「戸塚から、国府津発宇都宮ゆきの湘南新宿ラインという直通電車で①、新宿に出てから三鷹に行こうとしたら、②栃木のどこかで農家の軽トラが踏切でエンコして、全線普通で困っちゃった。在来線の線路を借りて田舎と田舎を結んでるから事故に弱いね。」くらいのことを話そうとしたとしましょう。

もう、①のあたりで「えー、湘南新宿ライン、戸塚とまるんだっけ?」
「なんでなんで湘南新宿っていう名前で栃木に行ってるわけ?」

②のあたりは、
「なら、渋谷、吉祥寺まわりにすれば?」
「あたしはいつも東海道、東京まわり。」

など、その瞬間に自分の心に浮かんだことを、その瞬間に言うこと、いうこと。決して、栃木の軽トラの話にはたどり着きません。

こうなると、日本語でも先行詞+関係代名詞の順で話す、結論を先に言う、など工夫がいるのかしら。そりゃ、仕事のミーティングでは明瞭簡潔に伝える工夫が必要でしょうが、なにげない会話は、そういう工夫をする前に、ゆったり聴きたいものだと思います。

その鍵が、呼吸の感性では。割り込み屋さんたちは、話し手に呼吸を合わせていないんです。話し手も、拙い聴き手に呼吸を合わせてから巻き込み、話し続けるだけの策士ではない。バラバラな呼吸と言葉が、棚からがらくたが落ちてくるように重なり合う。

呼吸を合わせて聴く練習。大人なら、テレビに出ている人相手にでもできると思います。勘三郎さんあたりだと楽しいことでしょう。

私もバランスは良くないんです。どこでしゃべっても、ぽっと普通にしゃべるというより、芸でしゃべっている、すみずみまで意識してしゃべっている感じが出ているらしいです(これを極めると江守徹さんみたになりそう)。聴くときは、相手の呼吸に合わせすぎて、去年はある自称(!)調整役君に30分も立て続けにしゃべられ、翻訳の締め切りにハラハラしました。そのとき、あるプチ・ラスプーチン氏が「呼吸をずらせ」とおっしゃったのです。

ずらすのも、合わせるのも、大人なら、意識的にあそべるはず。
ふふ。私と話す羽目におなりの皆さま、いひひひひ。

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2010年1月 6日

やっぱり!(これでは意味不明だ、でもいいのだ)

なんと今夜は午前1時すぎまで、おふたりのお姉さま(さあ、どなたでしょう?)にじっくり私の思いを聴いていただき、驚きと感謝でいっぱいです。

そして、もう二度と繰り返したくない心境でいたここ1年が、変化の前奏曲であったこと、その変化の先にあるもの、を確認することができました。

そのために、これから学ばなくてはいけないことも山ほどなんですけど。
きっと、反感の海を泳ぐことにもなるんですけど。

それが、世界が必要とすることだったら、私個人レベルで失敗でも成功でもいいや。

さて、なんでしょね。
見事正解の方は、どうぞ、自費で熱海でも!

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2010年1月 4日

お金とバイオグラフィー【ワーカー養成プレ講座】

人生の段階に、周期めいたものがあるのでは、と感じたことはありませんか。

アントロポゾフィーでは、人生を7年周期でふりかえり、パターンを認識する切り口があります。これをバイオグラフィーと言い、その振り返りのファシリテーターをバイオグラフィーワーカーといいます。

近見冨美子さん主宰のワーカー養成講座第6期に先立ち、「お金とバイオグラフィー」というテーマのプレ講座が開かれると知ったとき、もう、迷いなく参加しようと決めていました。今日は日野の修道院で過ごす2泊3日の初日です。

お金ほど、古くて、新しくて、人の気持ちを動かし、自己評価を表すものがほかにあるでしょうか。

今日は、メモリーワーク2つ。下の写真はそのひとつ。粘土は、私が11歳のころ、親に教育費を負担させることを気に病んでいるところです。マインドマップは、部屋に戻ってから、一日を振り返って描きました。


通訳は、自分で謝礼額を設定して、請求しなくてはならないこともあります。
これが、私はとっても苦手。

夜のダイアログ(バズセッション)で、、ボランティア(volunteer= voluntの部分までが「意志」の意)のあり方も話題になり、ちょっと自分なりにはっきりしたことが。

そもそも、ボランティアは無賃労働や奉仕活動のことではなく、「自分の意志をよりどころとする活動」のこと。

私は、仕事はすべて、「いま、世界に必要なことだから、やるんだ」という意志を契機としています。だから、すべて、ベースはボランティア。その中には、市場価格で成立するものもあり、やや乖離しているものもあり、まるで無賃のものもあり。でも、どんなペイでも私の側の取り組みは同じです。

何ももらえなくてもやることだし、こちらの姿勢はどこも同じなので、金額を設定するのは容易ではありません。
でも、現実の生活では要るものは要る。

実は、市場価格以下の仕事は、社会が未成熟なため、経済の血が回ってこないのではなく…別の理由の場合が多いように感じています。これはまた別件。

さて、今日はこのくらいで。おやすみなさい。

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2010年1月 1日

「お疲れ様」の使い道

あけましておめでとうございます。

今年は、「お疲れ様」の使い方に気をつけたいと思います。

私は、通訳仕事の後に、これを言われるのがあまり好きではありません。

ビジネスライクな場面で、スタッフ同士でさらっと言いあうのはまだご挨拶程度だからよいのですが、
講師、聴衆、通訳の距離が近いところで、「お疲れ様です」「大変でしょう」「疲れたでしょう」といわれると、そこまではハイになっていた気分が、翳ってしまうのでます。

この仕事ができてよかった、と思っているのに、私は疲れて見えるのか、大変そうだったのか、と不要な思い巡らしが始まりかねません。

いや、そういう意味じゃないんだろうとは言われそうですけどね。

どんな仕事であれ、その人が、その仕事を好きで、喜んで、全力を出しているとき、感謝を表し、ねぎらう言葉はもっと違うものを選びたいと思います。その仕事振りをacknowledgeする、肯定、評価する言葉を使います。

たとえば…周りの友人を思い浮かべると…仕事が速いね。視野が広いね。よく気がついたね。丁寧だね。勢いが落ちないね。持久力があるね。などなど。

よし、次ももっと張り切っちゃうもんね、と思えるような、言葉のスタミナドリンクを差し上げたいものです。

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