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2010年2月

2010年2月27日

数学を、からだと心を動かしてwith ベン・チェリーさん

いよいよ始まりました。ベンさんの数学研修。といっても、明日終わってしまうのですが…

今日はなんと、人智学の数学といえばこの方、丹羽敏雄先生も参加者の中に混じってくださいました。なんて贅沢な面々。もう、質疑しやすくなるうわけです。

で、これまた早々と確信したこと!
子どもをしっかり観察し、自分のあたりまえを疑う先生たちは、シュタイナー教育に高い垣根を張ったりはしていない。

シュタイナー教育を特別なものと思い込むあたりまえを壊すと、これまでと違うことが起こると思う。


ひとまず今日は、9時から18時近くまで、ちっとも空気がだれず、朝の空気そのままに一日の終わりを迎えた、ということがちょっと驚きです。

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2010年2月25日

ゼロ次コンテンツ?

音楽のリリースでは、ネット配信や着うた配信が増えて、CDが売れないといわれるこのごろ。

あるところで、配信を2次コンテンツ、CDを1次コンテンツを呼んでいるのを見かけた。

じゃあ、1次コンテンツのもう一歩前、ゼロ次コンテンツはなんだろう。スタジオ録音?コンサート?歌がアーティストのあたまに降ってくる瞬間?

昔はどきどきしながらレコードの針を落として聴いていた歌。はがきを買いてラジオにリクエストしていた歌。
それが、配信されたり、ハードディスクに録音して持ち歩いたりして、小さな単位でうんとモバイルになりながら、ずっとひとりひとりの受け取り手に近いものになっている。受け取り手に近づきながら、初めの瞬間にも近づいていないかな。

たしかに「アルバム」という世界は崩れかけているかもしれないけれど、歌は歌のままだと思う。MP3プレーヤーをひとりで聴いていると、レコードの時代より、歌が降ってきて、アーティストが初めてくちずさんだときに、近づいているんじゃないか、と思うことがある。(私の耳に、ASKAさんが歌いかけてる!)そりゃ、社会学的には違うところもいっぱいあるんだろうけど、それは今回はおいておいて。

同じことが文字の世界にも起きると思う。

電子書籍になる、ということは、紙にのっかっていたものが、そっくりそのままデータになるだけじゃない。

言葉は原稿用紙や紙に乗っかって降ってくるわけじゃない。
誰かの頭の中に宿った瞬間にどんどん近づくんじゃないか。

(アーティスト、著作家の活動を守ること、不正コピーを防ぐこと、大事なあ。)

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2010年2月23日

あのベン・チェリーさん、Nに現る!予定。

ベンさんは、イギリス生まれのシュタイナー教育教員養成のベテラン。今は東アジア各国で御活躍。中国では1回のセミナーに500人!も集まるそうです。

今週末、ハワイから台湾への途上、無理をおしてベンさんに新横浜においでいただきます。

ベンさんの算数、理科の授業も楽しいものですが、宇宙進化論が圧巻。いわゆるオカルトやら、いんちきではなく、いま、広い宇宙の一点に、人間としていることに、最大の励ましを受け取るような思いをする授業です。人生のさまざまな曲折に意味を見出し、涙するひともいるほどです。

昨年11月に来日なさった時には、予定がつまっていて、どうにもおいでいただく都合がつかなかったのを、ベンさんが気にとめていて声をかけてくださり、今週末の研修が実現するこになりました。だから、またもやぎゅうぎゅうづめ。

ぎりぎり2泊3日の訪問先は、「予習という病」でそのリーダーが知られるN。ここでは、さまざまな教育方法が研究されています。シュタイナー教育もそのひとつで、エッセンスが、ファッションとしてでなく、お金持ちのオプションでもなく、内輪語でも鵜呑みでもなく、ごく一般的な言葉で語られています。いいのかいな。イインダヨ~。

日本のシュタイナー教育は、これからいわゆる理数系、サイエンス思考の強化のとき、と思っています。教科の垣根がないことが、かえってあるアンバランスを生んでいるような気がするのは、私だけ?

すでに、数の概念について、ぞくぞくするような準備ミーティングが繰り広げられています。

いや~、これも天の配剤。ここ数か月来、私の周りでは「お立合いのうちにご存知の方もござりましょうが」(ういろう売りより)、「人智学の共同体とは?」やら、「人智学と社会問題」やら、いろいろな課題が急展開しました。

この経験を発酵させつつある今、ベンさんが共にいて、お話しできるのは特別なことです。

ベンさんは、直感の言葉を話される一瞬前、独特のまなざしをなさいます。
あの、おしゃべりバーバラさんも、そうなんです。
これ、あまり日本の人では見ないけど…。
なんだろう、あの意識状態。

また、顛末を差し支えのない範囲で報告します。

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2010年2月22日

満員御礼 「耳は小さな人間だ」 by 堀先生

久しぶりのフォーラム・スリー

堀雅明先生の「耳は小さな人間だ」講座に、たくさんの人がつめかけました。聴覚がこんなに関心を持たれていること、うれしい驚きです。(トマティスだってもっと賑うはず!)

堀先生は、いつも青年の雰囲気で、歌手のように響きの豊かな声で話されます。今回は、医学書の珍しい挿絵をパワポで沢山紹介してくださいました。

また、蝸牛と音波が互いに渦巻きとして出会うグループワーク、など、斬新な試みもありました。え、そりゃなんだって?今後の講座シリーズ化をお楽しみに。

講座の後、フォーラム・スリーで先生とお茶をご一緒させていただき、講座でもお使いになったFunctional Morphologyという素晴らしい本の翻訳計画で盛り上がりました!この本は、やさしさと敬意にみちた色鉛筆の人体挿絵がすてきな、形態学の医学書です。人の身体のすみずみに、どれほど原型的なカタチ、チカラが働きかけているか、物語のように伝えてくれます。誰が読んでも、人間のなりたちに心躍るはず!悩み多き医学部の学生さんがこれを読んだら、どんなに、喜んで仕事に取り組めることでしょう!

ただ、分厚いんだな。これが。

そこで、例の電子書籍の登場。
訳は、たとえば、私がブルドーザーのように訳し、先生方が監訳なさる、とか。
まあ、そのへんまで、妄想、計画、算段の話が出ています。

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2010年2月19日

横浜市営地下鉄は当たり前にえらい。


ブログネタ: 電車で優先席しか空いてなかったら、座る?参加数拍手

このとき、座らなくてはならないのに、座れない人がいない状況で、ですよね?
そして、「優先席」は年寄りや障害者以外は「すわってはいけない」と思っている人が悩んでいる、という状況、とします。

勝手に条件を加えます。

まあ、普通の交通機関でも、ですが
とくに、横浜市営地下鉄なら、迷わず、座ります。

優先席でも一般席でも、空いていたら座ります。そして、その席がより役に立つと思われる方がのっていらしたときに、ゆずります。優先席でも、一般席でも、だれかの先発部隊のつもりですわり、本隊が来たときにゆずる、のような気分です。だいたい、優先席だから、元気な奴が座ってはいけない、というのでは、椅子がもったいない。

横浜市営地下鉄、つまり横浜市交通局がこの質問を読んだら、ププ、とわらうかも。(そんなことはなさらないかな。)

Siru1


市営地下鉄の中では、すべての席が優先席です。
だから、お座りになったら楽だろう、と思われる人がきたら、どの席でもゆずる、ということになっています。

これ、「全席優先席」といっている交通局が、「乗っているひとりひとりの意識が優先席をつくるんですよ!」と呼びかけているようにも思います。ただ、そういう呼びかけから始めるより、初めに「全席優先席」と仕組みとして宣言しておくほうが、ひとの心にひびいて、状況が動きやすいでしょうね。うまいなあ。

このところ、職員ではなく、市民ふうのひとたち(ボランティア?)が、カードを配っていることもあります。携帯をいじっている人に、それとなく渡されることもあります。中には、「マナーについて、私たちはこんなことを心がけています」という交通局の姿勢が書いてあり、決して、「最近の若いもんはどうかしとる。」「~は禁止」という調子ではありません。

なんだか田舎っぽくて、なごむ電車です。外の景色が変わらないものだから、うっかりすると降り忘れそうです。

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2010年2月18日

悪魔のささやき

「いそがしいの?」

「いえ、それほどでもないんですが、いろんなことに関わっていて、横に広がるもんだから、そのひとつひとつの当事者から、『まだ?もっとやれ!』といわれる感じで…」

「それは、悪魔のささやきだね」

今夕ちらりとすれちがった、すてきなすてきな、不良喜寿的精神科医の先生のお言葉。この先生は医学としての精神科を枠を超えて、ひととして、すごいなあ。

「はたには見えないんだろうけど、各自の中では変化しているの」

あることの進捗状況をたずねた私への、ある仕事関係者の答え。どうなんだ、これ。私を「はた」とよんでいるわけだ。でも、各自と呼び合う仲間がいるだけ、結構なこと。私はハタだらけなので、アウトプットするまでは、何もしていないと思われてるみたい。

まあ、これも小悪魔のささやきとしておこう。

あの、スーダラの本質はなんなんだろう。
あれを体得したら、あの声は天使の、悪魔の、アウトプットの、なんて騒がずに済むんだろうけど。
う~ん、次々に植木さまの歌声が聞こえてきます。あの無責任男はりっぱな有責任個人。かろやかに、行動し、結果を出している。

ひとりでいても、みんなといる。
みんなといても、ひとりでいられる。

もうしばらく、スーダラ節をとなえて過ごします。

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2010年2月16日

「勝手に体が動いてました。」

東京、神奈川のみなさまにはおなじみのニュースですが。

昨日の夜9時すぎ、JR高円寺駅でよっぱらって女の子が線路に落ちました。

隣の車両から降りた青年が、彼女がおっこちたのを見て、自分も線路におりて、線路にのっていた彼女の手足をそろえ、線路と線路の間にもぐったまま電車をやりすごせるようにしたそうです。ふたりとも、無事でした。

よかった。よかった。

で、この青年がすごい。

「助けたいと夢中で、何をどうしたか、よく覚えてない」
「勝手に体が動いてた」
「声が返ってきたときは、本当にうれしかった」

ニュースで編集されたことばでしかないけれど、からだが動く、あたまとからだが一気につながって、誰かのために動くのって、すごい。愛とか勇気とか、マスコミは概念でいうけれど。

地球紀に愛をきわめるのがいまの人間のミッションだと、アントロポゾフィーではよく言うけれど。

この青年の笑顔のとぼけた素朴さの何万分の一でも…と思いました。
おお、それじゃホメオパシー効果かな。

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2010年2月14日

ゲーテ的ふきのとう

横浜の南斜面は、もうふきのとうでいっぱいです。

で、ごらんください。蕗の花をつつむガクの先端に、時が来ると立派な蕗の葉のミニチュアが現れます。
こんな植物、ほかにもあるかしら。だいたい、春先に顔を出したとたん、花の準備ができている、というのが番狂わせではないですか。

ちなみに、こいつら、山椒の木の下にごそっと生えていたので、私の頭はフェルト細工状態(おお、ホラーだ)です。うう。

ゲーテ的観察とは?と疑問の方、どうぞご質問を。
一家言おありの方もどうぞ。

ちなみに、植物の生長力に人間の感情が反映すると実感しておりまして、今日はASKAさまの声を浴びながら、じゃいものための土壌づくり、雑草取り、ふきのとうとりに努めました。

ふふheartASKAさまheart04

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NESセラピーはいいなあ。

昨日は、昭和のくらし博物館で長居のあと、おもちゃをあきらめて、NESの月1セッションに向かいました。

NESは、荒っぽく言えば、目に見える体は、目に見えない思いが作り出すもの、という理解のもとづき、今の自分の理解と、これからの方向をレメディーで支えてくれるもの。

これまでのナニヤラレメディがあんまり女の子っぽすぎて、自然からいただきすぎていて、どうもなあ~という私にぴったりの、剛速球直球レメディです。

なんだか不思議なんだけど、思い当たることばかり。
NESで指摘されることは、ほかのいろんなこととタイミングが合っている。

で、なんといっても、プラクティショナーの寺岡さん御夫妻が、どことなく品がよくて、ふつ~の話がちゃんとできて、すっきりしてて、ユーモアがおありなのが、私は好きなんです。

で、理論的には、シュタイナーの自己研さんの道と通じるのだけれど、スキャン、レメディーなど、いろんな手立てが講じられている。これを、ずると思うか、そういうのが必要な時もあるよね、と思うかは、人が決めること。

私は、ここから立ち上がれる人が、いっぱいいると思う。

シュタイナーが生きていたら、どう思うのかしら。ちょっと興味がある。

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2010年2月13日

隠密行動その1

いや、ご存知の通り、隠密なんて、一番苦手なんですけどね。

しゃべるわ、あちこちぶつかるわ、慌てるわ…

今日は昭和のくらし博物館東京おもちゃ美術館に行ってきます。

旧治癒教育の次の段階のひとつに、私たちが自分たちの日常を、治癒教育の目で吟味する、できるようになることも大事だと考えています。まあ、ローカライズといえばそうだけど。

というわけで、昭和のくらし博物館さんで、昭和のくらし、家事を運動発達、動きの美しさ、として吟味するイベントができたら…

東京おもちゃ博物館さんで、おもちゃで遊ぶ子どもの動きを読む、の導入的なイベントができたら…と思っています。

これから先方とご相談です。

思いつきから実況中継しまくりです。
でも、一人ひとりのうちに、キリストの種があると信じているので、別にこわくないな。

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2010年2月12日

おかたづけの先生が来てくれました!

自由学園、婦人之友のすっきりとかたづいた空間をこよなく尊敬するものの…

私は、片付けができないのです。
清掃はできるのですが。

ごちゃついているのは、認識できる。
でもどうしたらよいのか
どうかたづけたら自分に無理がないのか、
ちっともわからない。
「片付けの動線」での自分がわかってない。

英語を教えるとき
通訳するときとは
自分でもわらっちまうくらい別人。
それが面白いとか言っている場合ではありません。


なら、お片付けで、そういう力のある方にお願いしよう、ああ、この方だ!
と生活ほっとモーニング(NHK)に御出演のかたづけmom主宰、小関祐加さんのさっそうとしたお仕事姿を拝見してすぐ決めました!

2か月ほど前の予約が実現したのが今日!

今日は私の持ち物がメイン。
はずかしい、家族にも隠すような所をお見せして相談し、
アイデアをバンバンいただける。
しかも、一緒に実際の片付けにとりかかってくださる。
すごいスタートダッシュがついたものです。
もう、私には思いつかないことばかり。

(思いこみ)本が多いのが問題→(現実)書類と本が混じっているのが問題
こまごまときちんとわけなくては→ひきだしごとの区別はざっくりでいい。
今使わないものは未来のもの→今使わないものにスペースをとっておくのはもったいない

ひきだし、棚の移動も目からうろこのアイデアです。

また、次にお目にかかるまでの2か月、私なりに思いついたことをやってみて、さらにその上のアドバイスをいただけることを楽しみにしています。

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2010年2月11日

コード3つ覚えたら3つで、4つ覚えたら4つで

曲を作ろうとした、作っていた…

とは昨日のSONGS(NHK)でのASKAさんの言葉。

そうなんだ、これなんだ。

Images

「私は3つしか知らないから、4つしか知らないから、まだ曲なんて…」

「おまえはまだ3つしか知らないから、4つしか知らないから、生意気だぞ、
おれたちは7つ覚えているんだ」

こんなこと、おもってたら、一生すすまない。

5つめ、6つめのコードを楽しみにしながら、
いま、手の内にある、3つ、4つのコードで歌っていこう。

それが、私の旧治癒教育だ。

(旧とつけているのは、ある決断によります。
何百万人の意見を聴こうが、何を自分が決めるのかは、決めておく。)

追:そして、じつはこれが私の外国語習得法なのよ。
Good morningを覚えたら、そのときから、使える場面で使いまくる…

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2010年2月 9日

あなたは耳の人?目の人?手足の人?

群馬県の少年が群馬カルタを競技として極める姿を見て思ったこと。

なんてバランスがいいんだ…

人が学習にもちいるチャンネル、感覚は聴覚、視覚、体感覚の3つだそうです。みんな、どれも三角シーソーのようにばたばた使っているのだけれど、お気に入りが、やっぱり、ひとつある。それを優位感覚というのですね。このチャンネルからはよく入るのです。もちろん、苦手なところを刺激してバランスがとれたらいいですね。

競技カルタの場合、優位感覚が優位すぎる場合をおおげさに書いてみると…

読み手「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ…」

聴覚優位「…わが衣手は露にぬれつつ…」(札を取るのなんかとっくに忘れて読み手に聴き惚れている。続きを唱えていることも。)

体感覚優位「はいはいはいっ!」(読み手がおわらないうちに、お手付きしまくる。)

さて、視覚優位ってどうなるんでしょうか?
実は、私がかわいそうなくらい聴覚優位だそうで(自覚なし!)、どなたかのコメントをお待ちしま~す。

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2010年2月 7日

2010年は職業的責任者(プロフェッショナル)の輪へ?!

きょう、初めて、気になって気になって、気になっていた横浜綱島のアウディオ・ペーデさんを訪れました。「四つの臓器」講座に、IPMTのみなさまのお心遣いで、お招きいただいたのです。

5月のIPMT(人智学医療実践者の学びの輪、のようなもの)通訳を、入間カイさんご一緒させていただくことになったうえ、IPMTのみなさまには、予習にも寛大なお力添えいただいていて、気持ちがホカホカです。今日も、オイリュトミストの石川公子さん(大学の先輩!)に貴重な資料を頂戴しました。

IPMTのみなさまは、学ぶことと現場の距離が近い。
プロフェッショナルなひとたちの、For Others な学びの推進力は気持ちいい!
プロフェッショナル、ということは、小さな自分モードをどれだけ離れられるかということ。
一角だけで人より秀でようというのではありません!!!!
(それじゃ、くだらない自分モードじゃん。)

ほんとうに、IPMT, アウディオ・ペーデのみなさまに感謝です。
学びを、惜しみなく応援してくれるIPMTのみなさんの発案と実行にありがとうございます!

このごろね、こういうつながりが増えて、うれしい限りです。

「私たち、こんなことしているの。これはとても大切なことなの。」
「あなただから、来てほしいの。だから、これを活かしてほしいの。」

そんな声をお聞きするたび、身が引き締まると同時に、喜びと感謝が大きな推進力になるのを感じます。

蛇足を申せば…
治癒教育に関しては、このダイナミクスが、まだまだこれから、ですね。

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2010年2月 4日

コラボ、ナゾナゾ。これはすごい。

昭和のくらし博物館
東京おもちゃ博物館
武田双雲さん
足利学校

ふふふ、来年度のある企画に、ある方と、上記のような施設、名人を組み合わせ、みなさんとの科学反応、臨界が生まれるはず。

さあ、なんのことでしょう。

これがうまくいったら、私は伊東のお座敷大学で休暇がてら、芸者のおけいこでもさせていただきます。

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朝日新聞書評「予習という病」

耳塚先生のコメント、そのままです。

■未知へ対応できる未来型学力を

 【予習病】すでに定められたカリキュラムに固執し、未知の事柄をまだ教わっていないがゆえに否定する精神の傾向。本書は、この定義で始まり次の定義で終わる。【未知への準備】予測できないものに出会ってもしっかりと向き合い、必要な対応ができること。二つの言葉が、この本のすべてである。

 未来型の学力、子どもたちの頭も心も動かし続ける授業、子どもたち自身が知識のつながりや構造を作り上げる能動的な学びはいかにして可能か。公立学校ではおよそ不可能な実践もあるが、紹介されている日能研の取り組みに秘められた革新の精神に学ぶべきところは多い。

 著者高木幹夫氏は、首都圏を中心に展開する中学受験塾「日能研」の代表。公教育のすき間で、過熱する受験競争時代が生み、受験低年齢化が育てた徒花(あだばな)は、いまや未来型学力の王道を語り、理想実現のための実践を敢然と実行する。しょせん商売などと侮ることは不遜(ふそん)にほかならない。「受験準備学力だけで学力を語ったらダメですよね」という著者の問いかけに、教育界の本流は、答えるべき言葉と実績を持ち得ているだろうか。

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2010年2月 3日

大嫌い、メサイア・コンプレックス

前にも書いたかもしれないが。

虫唾が走るもの。ごきぶり、きたない公衆便所、あたりかまわず大声だす連中。そして、メサイアコンプレックス。

人を助けているという幻想に甘えて、自分のアイデンティティを保全する連中。
「わたしがいやしてあげました~」は研修生のプロセスとしてはかわいいと思えるけれど、それ以上は、NO.
おままごとも、いいかげんにしなくては。

今を生きている目の前にいる人と、その隣にいる、目に見えない、キリスト存在が当事者。

カウンセラーも自称ヒーラーも自称セラピストも第三者にすぎない。

そんなに癒したければ、自分を癒したら、どうかな。

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