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2012年4月

2012年4月11日

個人の好みの問題?【引用・出典・参考文献~知的財産は守ってこそオープンに】

「あなたはそういうこと気にするのよね。」
で済ませてよいとは思わないのです。

学習支援や治癒教育と呼ばれるさまざまな手法。
講座で紹介される情報やエクササイズには
出典がはっきりしているものも。
それがまるで講師自身が開発したかのように
扱われることがしばしば。

それでいいとは思わないんだけど、と指摘すると、
しばしば上のように
個人の好みの問題として片づけられそうになるのです。

確かに、ひとそれぞれ、独自の工夫が加わるし、
講師の方が紹介しなければ知ることもなかったかもしれないので
かけがえのない役割を担ってくださっているのは間違いありません。
ならば、なおさら堂々と出典は示したうえで、
自分のクリエイティビティも発揮したらいい。

私は学ぶ人が自由に源を辿れるようにするのが
自分の仕事のひとつだと思っています。

学ぶ過程で誰から何を学んだかをフェアに明示するのは、
大学のタームペーパー程度でも最低限要求されること。

知識や情報の水路をはっきりさせておくことは、
自分にやましいところがなければなんともないはず。

そんな思いから、「エクストラ・レッスン」は参考文献のすべてについて、
翻訳が出ているかどうか国会図書館の情報で調べました。
おまけでも特別サービスでもありません。あったりまえのこと。
そうしなかったら、みなさんに申し訳ない。

その参考文献のひとつINPPのReflexes, Learning and Behaviourもまもなく日本語で登場!

原始反射・姿勢反射についての必読本として
さまざまな学習支援メソッドに推薦していただいています。

INPPのアプローチは、人間が備えて生まれてくる「反射」がもつ
まるで「神さまの持たせたお弁当」のような
善なるはたらきをしっかり学ぶこと。

そのうえで、抑制のタイミングを過ぎて複数の反射が残っているときに
(5時間目になってもお弁当が食べ終わらない涙目ちゃんたち)、
どんな影響が現れるているか、生理・心理・認知から総合的に丁寧に調べます。

決してひとつひとつの反射を文脈から切り離して取り上げて、
ツブすのではありません。
それでは苦しみという仮の姿をまとった個性という宝を壊しかねません。

さて、学校用テキストの翻訳にもどります。

これは地味だけれどシンプルなホンモノ。

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2012年4月 4日

「運動神経が悪い」のいい加減 その② 英語は90度回転したら読みやすいの怪

英語の本を読むのが苦手、という私のオトモダチさん。
本を90度右に回転したら、読みやすくなるかも知れませんよ。

イギリスのみなさんには「きもちわるーい」とウケ(!)ますよ。

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ちょいと中高時代に戻りますと…
日本人はむずかしい英語は読めるのにリスニングが苦手、と聞くたび、
私には何のことやらさっぱりわかりませんでした。

中高時代の学びは英語の美しさそのものを先に「古典的な音」で堪能するという
耳人間の私にはとても幸せなものでした。

だから、「読んでわかるのに、聴いてわからない」という事態が
どういうことかさっぱりわからなかったのです。

私は「読んでわからないものも、聴けば分かる」だったからです。
でも、ちょっと待って…
「読んでも、聴いても、ちゃんとわかる」とは違いますね。
日本のみなさんも、私も、どっちもどっちです。

このことは大学に入ってからひびきました。

三鷹の「集中治療室」大学は、1・2年次で大学で学ぶスキルを
英語で集中的に鍛えます、しごきます。
(注:英語そのものだけを鍛えているわけではありません。)

ディスカッションやプレゼンテーションが多い授業に参加するために、
相当な宿題と自分での調べものが欠かせません。
とにかくたくさん読まないと何にも始まらないのです!

当時はまだマックのColor Classicが出始めて、
ウィンドウを何枚も開けられることにびっくりしていたころ。
電子書籍なんてありません。
図書館で分厚いハードカバーを借りては通学の車内で読もうとするのですが…

読めない。
どんなに頑張っても1ページも読み終わらないうちに寝てしまうのです。

往復4時間通学に疲れていたとしても、これはひどい。

何とかしようと思って、速読やら、スキャニングのスキミングの…と
いろんなスキルに手を出しました。

でも、読めない。情けないばかりでした。

ずっと日本で育ったのに、帰国子女?と必ず訊かれていたころの自信は
ガラガラと崩れ去りました。

クラスメートの目にも「あの子はあまり勉強してこない、自信のない、おとなしい子」
と映りはじめたらしいと気付き、さらに情けなくなりでした。

とにかく仕方ないので、せっかく東京始発の東海道線の中でも
立ったまま読んだりしていました。これならさすがに寝ません。

(勤め帰りのJR職員さん3人連れに
「学生さん、すいているんだからおかけなさい。
まあまあ、勉強はあとにして、これでもどうぞ。」
と缶ビールをいただいたことがあります。happy01

まあ、根性でのりきってしばらくは忘れておりました…

そして20年近くがたち、
通訳者としてあちこちで楽しく仕事をするようになりました。

「ナンだこの人、やたら長時間の通訳も大丈夫みたい。なら翻訳も頼んでみよう」
とみなさん思ってくださったようですが、ここで20年前の亡霊登場。
いや、はじめは亡霊だったことすら気づきませんでした。

翻訳すべき本を読みながら、寝てしまうのです。
寝たくないのに寝てしまう。
笑い事じゃありません。

「脳のつくりがちがうんじゃない。」
「典型的な通訳さんタイプよね。」
と言われると否定はできないけれど、悔しかった!

私は日本語の作文は得意だったし、
縦書きの日本語を読むのはとても速いのです。
何が起きているのだろう…と苛立ちました。

で、単純なことだったのです。

HANDLEINPPのトレーニングとして、受講生がお互いに丁寧なアセスメントをしてみたら…

なーんだ、純然たる極端な亭主関白の左目ききだったのです!
右目との夫婦仲の悪さに前回のATNRが
かかわっているらしいこともわかりました。

発達のなりゆきとして、上から下、中心から外への動きを
人間は自然に感じるといいます。
ということは、左目は「鼻から左耳」の向きで動くのが楽

この猫ちゃんでいうと、水色矢印が左目のデフォルトな動き。
赤色矢印が英語の読みの向きです。

Photo


あれ?英語の「左から右」の向きは左目のデフォルトとは反対ではないですか。

どれ、試してみよう。左目を「左耳から鼻」へ動かすと…
眉間が痛くなりそう。吐き気すらしそうです。

これほど違和感のある動きを、
左目関白おやじが無理してガンバッテいたのです。
そんなことでガンバッテ、疲れてしまって、
眠りに落ちていたとは…!

わけがわかれば手は打てます。

①亭主関白な左目をおおって、奥様の右目で読む。
⇒楽!

②本を90度右に回転して縦に読む。
⇒まあ、悪くないけど、人前でやると気持ち悪がられる。

③目のトレーニングをする。
⇒はい、正攻法です。疲れ目にもいいみたい。

このごろは翻訳のペースがずいぶん上がっています。

なーんだ、脳のつくりやらタイプやらなんていう枠組みに自分をあてはめて
扉を閉じることなんかなかったのですね。

…いや、違うな。
「私には自分でわかっていない何かが起きている」という
ふがいなさが導き手となって
「人の学びはアタマだけでなされるのではない」ということを
実感する旅をさせてもらったといったほうが心に近い気がします。

さて、この旅にご一緒くださるのは…

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2012年4月 2日

おばさんバカご容赦

またまたやられました。1週間後に小学校に入るうちの姪っこ「ほーちゃん」です。

数字の練習帳なんかひろげているほーちゃんに、わが母がまたがみがみ言っている。

「8は〇を2個重ねるんじゃないのよ。」
「9はぜんまいじゃないんだから、〇と棒にわけて書くのよ」

ばあちゃんエンジン全開。
ほーちゃん困り顔。

(こういう運動発達を吟味しない認知的情報の供給過多はねえ。)

で、私は同じ壁の方を向いたまま、向きを変えずに数字を床の上に歩いて描いてみせました。

「今の、なんだったと思う?」
「うーん、2」
「そう、じゃ、これは?」

…こんなふうにして1から9を私が動き、ほーちゃんが当てる、をひととおりやってみました。

そして、お待ちかねの交代タイム。
「今度は私がやってみるから、ゆきちゃんがあてて!」(注:オバサンと呼んだらバケツもちで廊下に立たせる。)
ほーちゃんは、もう、やりたいやりたい!の気持ちが満タンです。

こうして床の上をノート代わりにして、ダイナミックに空間をとらえて、数字のフォルムを身体で味わいました。

その後がまたすごくて、びっくり2つ。

びっくりその1

縦長のまるとまんまるを描いて
「どっちがいいゼロだと思う?8のまるはおんなじ大きさだとかっこわるいんでしょ。」
おそれいりやした。

びっくりその2

今度はいつもお楽しみのお絵かきです。どうも私が家系の中でへんなイラストがちょっとうまいらしい、とほーちゃんに見込まれたらしいもので…

「左半分がわたし、ゆきちゃんは右半分ね。私が描くとおりに描いてね。」
7歳までは模倣の時期ともいいますが、模倣させまくる子もおります。
イチゴ、バナナの房、むきバナナ、タケノコ、ブドウ…と次々に彼女が描いては私がまねする、を繰り返します。

実は途中で私がひとつへまをやりまして…彼女が筍と竹を隣り合わあせて描いて地中でつながっていることを示そうとしたのですが、私は何も考えずにバラバラに描いたため、タケノコがロケット発射したようになってしまいました。ほーちゃん一言。

「飛び出して、人の顔にあたったみたいにしたら。」(けっこうシュールじゃん。ハイ、わかりました)

まあ、そんなふうにひととおり描きましたら…

「最初に描いたのはなんだったけ…イチゴ、で、そのつぎがバナナ…」

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彼女は描いた順番をすべて覚えていて、そこに番号を振りだしたのです。
絵と数字を統合して、学びのふり返りを全部ひとりで仕組むとは!

大人が1対1で、こういう力を見つけ、自由に流れる仕掛けをつくることは、哲学とセオリーと実践を積めばそれほど難しいことではありません。私には楽しいことです。

ただ、それが20人以上のクラスの中で同じように見出せるかというと、ちょっと緊張を覚えます。
だからこそ、子どもたち同士の力が活きるようにファシリの立場に立つしかないと思うのです。

ほーちゃんの力が優れた先生(ファシリテーター)に見出されますように。
お友達との関係の内に活きますように。

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